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ちかごろの祐信

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ちかごろの祐信
ブログ紹介
徳島県の鬼門の方角の端、鳴門の小寺に暮らす小坊主です。
以下の課題に日々取り組んでいます。
 1、坊主暮らしを10倍楽しむ
 2、寺と仏教を10倍楽しんでもらう

ホームページ → http://www.chokokuji.jp
祐信の部屋トップ ↓ http://www.chokokuji.jp/yushinroom/yushintop.htm
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アンクル・カーネル

2009/11/26 08:03
画像 たまにこういうものを買うことがあります。
 徳島で法要なんかがあると、帰路に店があります。
 もしここがドライブ・スルー(これ、英語ですか?)でなければ、買わない、買えない。法要の帰りですから、墨染めの衣姿です。

 京都では下宿の近くに店がありました。店は、ぼくが暮らし始めて間なしにできたと思う。
 隣の部屋の仲間が、「くまちゃん、こんなの知ってる?」(なにしろ江戸っ子でしたから)とか言って、パックを見せてくれました。それが初めての出会い。
 都会の人はモダンだなと感じたものです。

 箱の「Its finger lickin’good」というコピーは、当初からのものです。
 どういう意味だろうって思いながら、35年が経ちました。
 「指までなめるほど美味しい」。ネットに尋ねたら一発でした。
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護摩札

2009/11/25 07:49
画像 その大法会の本堂で、ひどく懐かしいものに再会しました。
 高野山で修行したときの護摩札。
 100日の厳しい修行の仕上げに護摩を焚き、その折に加持した護摩札を、結衆や縁のある寺院に納めます。無事に修行が終わったことのしるしです。
 ぼくのは1990年製です。

 納められた札を、こうやってきちんと保管してくれている寺もあるわけです。うちの寺はそっけないものです。捨ててはいないと思うけど。

 早世した、うちの先々代のご子息のものもあります。この人が早世しなければ、先代が鳴門に来ることはありませんでした。とうぜんぼくも。
 長谷寺は、いまよりずっとありがたい寺になっていたかもしれない。
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難民坊主

2009/11/24 07:44
 大法会の最中にひどくショッキングなニュースが飛び込んできました。それもふたつも。
 まずは、馴染みの印刷屋さんが、店をたたむという話。
 これだけ不景気で、企業の倒産が相次いでいる時代。ぼくに関わる会社だけは無事なんて、考える方が間違っています。

 ぼくには、活動を支えてくれている人や会社が、幾人か、いくつかありますが、その中の大切なひとつ。ここと出会ってもう12年になります。
 それまで「百日紅」は、鳴門市内の印刷屋さんにお願いしていましたが、ここの仕事がどうも納得できない。地方の小都市の印刷屋ってこんなもんかと途方にくれていたら、ひょんなご縁で紹介してもらった印刷屋さんに頼むと、きっちり仕事をしてくれます。当然のことなのだけれど、その当然が鳴門ではなかなか通用しない。
 しかも電話をすれば営業のスタッフが駆けつけてくれます。大きな行事があるみたいだからと、黙っていても手伝いに来てくれる。
 「百日紅」を印刷に出したら、丁寧に読んで、校正までしてくれます。
 そろそろ正月号を作る時期です。路頭に迷いそうです。

 これ以上のショックが、いしいひさいちの病気療養です。
 しばらくののちゃんに会えません。

 「いま」というときは、永遠ではありえないのは、しごくあたりまえのことです。仏教の言葉で、諸行無常といいます。
 坊主のくせに、それを忘れて、「いま」を貪っていたわけです。
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本堂芸

2009/11/23 08:06
画像 「とうちゃん、まだかー」
 とうちゃんの名前が呼ばれたら、誰よりも早く賽銭を投げたいのに、なかなか聞こえてこないので、ぼくは退屈をしています。
 下にはいっぱい1円玉が転がっています。
 「立ててみ」と父ちゃんから言われて挑戦してみたら、いつの間にか時が経つのを忘れて、1円玉立てに熱中していました。
 とうちゃんの真似して、丸い棒の上に立ててみたけど、これはなかなか難しい。

 そうこうしているうちにとうちゃんの名前が呼ばれ、この家族は満足して帰っていきました。

 ふつかかんの大法会が終わりました。
 最後は雨にたたられてしまったけれど、まあ大過なく終わりました。
 若手のホープ、タイシャク和尚の奉行(「ぶぎょう」こういう言葉がまだ生きています)デビューで、新時代の本格的到来です。
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贋作の波間に

2009/11/20 07:55
画像 かつて本屋というのは、いまでいう「古本屋」のことだった。そういう文章を、最近どこかで読みました。本はリサイクルがあたりまえで、1冊の書物は、大勢の人に読まれたわけです。本がそれだけ貴重だったのでしょう。
 いまは、古本屋というイメージでなく、リサイクルを全面に打ち出した本屋さんが当たっています。あれはあれで、無駄を出さない、ひとつのやり方なのだろうと思います。
 ネットの古本屋さんも便利ですね。ただ、あれで利益が上がるのかと思いますが、ぼくなどが心配することではないのでしょう。

 『ゴッホの遺言』(11/11ブログ)の続篇にあたる、『ゴッホの証明』と『ゴッホの復活』を、ネットの古本屋さんで手に入れました。
 『証明』など、2000/7発行、定価1900円のこの本が99円。送料込みでも439円。文庫で買うより安いです。
 『復活』ではなんと、日本にある超有名な例の花の絵が贋作だといいます。前作と変わらぬ説得力があるからすごい。
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IT看護

2009/11/19 07:48
画像 まるで天球を支えるアトラスのように、長谷寺を力強く支えてくれているヤスオさんが、急遽入院されたので、淹れたてのコーヒーを保温ポットに詰めて、お見舞いに行きました。
 甲斐甲斐しい坊主ですわ。
 なにしろアトラスが病気になったら、天球は困ります。

 いまは看護師さんの検診まで、パソコンがお供です。
 診察室に入っても、先生は半分パソコンの画面を見ています。以前は、半分はカルテに向かっていたということなのでしょう。
 ぼくの仕事もいまや、パソコンがないとまったくお手上げです。携帯なんかなくても平気ですが。
 仕事用の機会が不機嫌なので、すぐに別のにデータを移しました。2台なかったら大変なことになっていたかもしれない。そういう経験、ありますから。
 ちょっと前まではパソコンなんて誰も使ってなかったわけです。それでも仕事が回っていた。恐ろしい話です。

 「ターミネーター」のテレビドラマ版、「サラ・コナー・クロニクル」を見ています。
 こうなってみると、スカイネットの時代なんて、絵空事とは思えません。
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バウの幻想

2009/11/17 08:18
 オバマが明仁夫妻に対してお辞儀をしたことが、低姿勢過ぎると、アメリカで批判されているそうです。
 アメリカ人は、お辞儀なんてしないんですね。屈辱的なんでしょうか。
 まあ映画を見ていると、お辞儀は日本人を表す記号です。

 高校までは、授業の最初と最後に、クラス委員の号令で「起立、礼、着席」をしました。
 英語の授業では、この号令を英語でかけるわけです。「スタンダップ、バウ、シッダウン!」。
 その頃は、きっと異人さんたちも授業の時はこうやっているのだろうと思っていた節があります。バカですね。
 要するに「起立、礼、着席」を英語で言っていただけで、アメリカ文化を教えていたわけではないんですね。

 まさか大学では、そんなことはなかったけれど、高野山大学の講義では、必ず「起立、礼」をやらされました。
 他大学や社会人を経験してから高野山に編入したぼくらの仲間たちが、この習慣に首を傾げていたら、その声が聞こえたのか、するのが当然と言い放った先生がいます。
 その先生を高野山に(いやいや)表敬訪問した政権党の幹事長が、わけのわからんキリスト教批判をして、問題になっているようです。
 「ホトケ」をめぐる議論が起こるでしょうか。
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