アクセスカウンタ

ちかごろの祐信

プロフィール

ブログ名
ちかごろの祐信
ブログ紹介
徳島県の鬼門の方角の端、鳴門の小寺に暮らす小坊主です。
以下の課題に日々取り組んでいます。
 1、坊主暮らしを10倍楽しむ
 2、寺と仏教を10倍楽しんでもらう

ホームページ → http://www.chokokuji.jp
祐信の部屋トップ ↓ http://www.chokokuji.jp/yushinroom/yushintop.htm
help リーダーに追加 RSS

邂逅

2008/09/08 07:30
画像 去年の秋の彼岸、卒業論文の準備のため、ぼくに話を聞きに来た娘さんがいました。(2007/9/21ブログ)
 卒業論文が完成したら、ぼくらの勉強会で報告してもらうという約束は、残念ながら結局果たせないままでした。
 葬祭業界への就職が内定してると言ってたけど、どうしてるかなと思っていたら、徳島の葬祭ホールで再会しました。社会人、それも接客業の雰囲気を、見事に身に付けています。
 胸には、「セレモニー・アテンダント」とかなんとか、カタカナの名札を付けています。

 ぼくは8年間も教壇に立ったのに、教え子がちゃんと働いているところを見たことがありません。「ちゃんと」というのは、「ちゃんと就職した企業で」という意味です。学校で禁止されているアルバイトの場面には、いやというほど遭遇したのに。

 ゼミで教えた女子学生が出版社に就職して、彼女が編集の担当になって本を出版できたときの喜びを、とある研究者がそのあとがきに書いています。
 わずかながらですが、彼の喜びの片鱗を感じることができました。
記事へトラックバック / コメント


なめねこ

2008/09/07 07:00
画像 長谷寺とその周辺には、無所属の猫たちがたくさんいます。むろん猫たちばかりではありませんが。
 うちには、うかつな3匹のヒトと、間抜けなイヌしかいないので、境内だけでなく、建物の中にも出入り自由で、たまに運がよけりゃ、ご馳走にもありつけます。
 ヒトの気配がしたら、猛烈ダッシュで逃げ去りますが、最近はどうもなめられてしまっている気配です。土間まで逃げたのに、あとは動こうとせずにこちらを窺っています。食べ残したものでもあるのでしょうか。

 こいつの1メートル右には、間抜けなイヌが寝そべっています。あいつは完璧になめられています。
記事へトラックバック 0 / コメント 3


神だった頃

2008/09/06 07:22
画像 そのストックブックに挿まれていたものです。
 小学校5年のぼくと中1の兄。兄の学生服の襟章で判明します。
 父が二眼レフで撮ったものです。だから、変わったサイズをしています。それに当時としてはまだ珍しいカラー写真。
 前髪が傾斜しているのは、当時の流行というわけではありません。極端にへたくそな床屋さんでした。いやだったけれど、なぜか他には行かなかった。
 季節は春先ですね。
 写真ではよくわかりませんが、ぼくは半ズボンの下にきっと黒いタイツをはいています。

 人生の中でこの頃のことを「神話の時代」と呼ぶそうです。
 決して豊かではなかったけど、母は若く、世界はいまよりずっと広く、不思議に満ちていた。
記事へトラックバック 0 / コメント 3


ラララ科学の子

2008/09/05 07:14
画像 母が死んで、今年は初盆。
 線香をたくさんいただいたけれど、神道では使うこともないからと、郷里の兄から届いた箱の中に、幼い頃の切手のストックブックがありました。
 タイムカプセルから出てきたようなものです。

 表紙には、お決まりの、アトムシールが貼ってあります。マーブルチョコレートかなんかに入っていましたね。
 ワッペンとかバッジとか、いろいろな同種のオマケがある中で、明治製菓のアトムシールは、なによりぼくらの心をくすぐるものでした。
 学校で使う文房具にシールを貼ってもいいか、クラスの会の話題にになりました。結論は最初から決まっています。
 いまでは想像もできないくらい品行方正だったぼくは、学校に持っていかないこういうものに、ささやかに貼っていたわけです。
記事へトラックバック 0 / コメント 8


マッチでーす!

2008/09/04 07:26
画像 おばあさんが亡くなり、この家では久しぶりの葬式を出しました。
 これから四十九日まで、毎週の法事があるということで、ここのご当主は、わざわざマッチを買って来ました。祭壇の蝋燭をともすのに、ライターなんてとんでもないと、誰かに言われたらしいです。
 マッチはありがたくて、ライターは仏さんに対して失礼。そういうつまらない認識はどこから来るのだろうと、とても興味があります。
 もしかしたら、マッチが失礼で、火打石こそありがたいという時代なんてのも、あったのかも。

 ひと昔前に、徳島の地元新聞の紙上で、「ワープロ論争」がありました。地元の、けっこう名の知れた作家が、ワープロの便りは不謹慎とか不見識とか、そういう文章をコラムかなんかに書いたのが発端でした。
 ああ、この人は、みんなが万年筆とかボールペンを使い始めた頃だったら、書簡は毛筆でないと礼を失するとかなんとか、文句を付けるのだろうなと思ったものです。

 仏さんに供える灯明の火をともすのは、マッチでもライターでも、そんなもんどっちでもいいです。マッチでないとだめとか、そんなことお経のどこにも書いていません。
 ただ、マッチで灯して、燃えカスを香炉に突き刺すのはやめましょうね。香炉は香をお供えするための器です。マッチの火消し兼燃えカス入れではありません。
記事へトラックバック 0 / コメント 3


薩摩藩邸跡地

2008/09/03 07:07
画像 待ち合わせた思い出の「木の下」は、不覚にも追い出されてしまいましたが、野郎ばかり4人が集まって、「つわものどもの夢のあとめぐりツアー」をしました。
 BOX代わりに借りていた部屋は、30年経ったいまも健在でした。どこかの胡乱な組織が、物置代わりに使っているみたいです。当時から、とても人の暮らせる環境の部屋ではありませんでした。

 幻のBOXがあったはずの学生会館は、モダンな建物に建て替えられていました。
 最上階に、しゃれたレストランがありました。外部資本による経営らしく、日曜日だというのに営業をしています。
 ビールとワインでランチをいただきました。
 外部資本といえど、大学の施設です。お酒が飲めるなんて、隔世の感があります。

 烏丸今出川にある、ここが西門。さすがに日曜日でも、この門は開いていました。正門は反対側にあります。
 当時は、巨大な「タテ看」(タテ看板のこと)が所狭しと並び、当時の学生たちの特有の書体で、過激な文章がつづられていました。もっとも、きちんと読んだことはありませんが。
 ヘルメットの学生が、鉄パイプを持って、武闘訓練をしていました。そばではハンドマイクでアジテーション演説。それを聞きながら講義を受けました。おかしな時代でした。
 いまは大学側の立てた看板が整然と並ぶだけです。

 縁あって、みっつの大学に行きました。おかしな大学でしたが、それでもやはりここが母校なのだなと思います。 
 いまの暮らしのスタートラインが、まさにこの狭いコンクリートのキャンパスでした。
 恩師も先輩も、仲間も恋人も、みなここで出会いました。
記事へトラックバック 0 / コメント 10


思い出の木の下

2008/09/02 07:22
画像 「♪わたしは忘れない 晴れた日の思い出の木の下を」
 ぼくらの学生時代にデビューし、若い男性諸君の心をわしづかみにした岩崎宏美。彼女の「思い出の木の下で」という曲の一節です。
 この歌は恋の歌ですが、ぼくらにとっての思い出の木の下が、ここです。

 ぼくのいたサークルは、ぼくらが入るずっと以前に、キャンパスの政治的な争いごとに巻き込まれ、学生会館のBOX(部室のことです)を追い出されていました。だから当然、学友会から活動費もおりてきません。
 貧乏学生たちがわずかな会費を出し合って、大学の近くに狭い部屋を借り、手刷りの謄写版で月刊の機関紙を発行し、年に1度は研究の成果を活字にした会誌を発行していました。
 なぜ多くの学生が、そんなサークルを見限ることもなく、逆にその活動に情熱を傾けていたのか、いま思えばとても不思議です。

 集まる場所がありませんから、キャンパスの片隅のこの木の下が、お決まりのたまり場。
 講義のないときは、足はここを向きました。行けば誰かしらがいて、連絡もここでしたし、メモに書いて、この木に画鋲で留めておけば、間違いなく伝わりました。
 後ろの建物は啓明館。人文科学研究所があります。恩師の研究室はここの3階にありました。幾度ここの階段をのぼりおりしたことでしょう。

 OB会の翌朝、幾人かの仲間とここで待ち合わせをしました。ぼくらがいた頃は閉じたことがなかったはずの門が、閉じていました。鍵はおりていなかったので、押して入りました。しばらくしたら、門衛さんがやってきて、「ここには何も見るものはありませんよ」と観光客扱いされ、追い出されてしまいました。
 胡乱な部外者には違いありません。
記事へトラックバック 0 / コメント 2


月別リンク