お賽銭を「踏む」
大法会を代表するシーンをもう一枚。本堂内陣に広がる賽銭の海。過去帳奉読の際に投げられた賽銭たちです。このときばかりはぼくらはコインを踏んづけて歩き回ります。
お金は、ときには丁寧に紙に包んで、お祝いのときは酒の肴(「のし」のことです)まで添えて渡すのに、賽銭を渡すときはいたく粗雑な方法をとります。まああまり、賽銭を「渡す」とは言いませんが。
買い物をする時だって、まさか相手にお金を放るなんてことはしないのに、賽銭は投げるわけです。しかも相手は神仏。
賽銭を「払う」とも言いませんね。「納める」でもない。賽銭はやはり「上げる」か「投げる」。「上げる」といっても、実際は「投げる」わけです。とても面白い習慣だと思います。
「(お金を)払う」という表現も、よく考えれば面白いです。埃を「払う」と同じ表現です。
この言葉には、歴史的背景があります。
きのうは初めての試みで、過去帳奉読の前にみんなで般若心経を唱えました。・・「みんな」が唱えてくれたかどうかは疑問ですが。
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